[ひとり事] 母の女の友情
母が好きだった「スパゲティミートソース」
ひき肉・玉ねぎ・人参をみじん切りにしてケチャップで味付けをするミートソース。
ちょっと体のことを考えて、ミックスビーンズを入れました。
粉チーズとパセリをたっぷりかけて、定休日のランチ、いただきました。
[器:サニークラフトさんのミントシリーズ、明日より店舗にて販売開始、オンラインは週末からの予定です]
—ここから少し長文なのでパスもありです———–
今日は母の命日
9年前の今日は、突然冷たくなってしまった母を前に慌ただしく葬儀の準備をしていた。
母には、ゆりちゃんという友人がいた。
ゆりちゃんによると、女学生時代、勉強を教えてもらったことがきっかけでいろいろ話をするようになり仲良くよさせてもらっていた、という。
自分が母の年齢に近づいていくにつれ、「母が生きた時」を考えるようになった。
私が高校を卒業し、就職をして着飾って出歩いていた二十歳前後
同じ二十歳前後の時の母は、私を出産し知らない土地で子育てと父の職場で(連ドラまんぷくで松坂慶子さん演じる鈴さん曰く『飯炊き女』)掃除洗濯食事の支度の毎日を送っていた。
母の生前、母に自分と同じ二十歳のころがあり、何が好きでどんな風に生活をしていたかということに思いを馳せることはなかった。
なぜなら、母は私が生まれたときから「母」だったからだと思う。
父の職場は転勤が多く、結婚して7年間ほどで3回の引っ越しをし、ゆりちゃんとは年賀状のやりとりが細々と続いていた様子。
私が小学生になるのをきっかけに、転勤のない自営業に転身をし、母の実家のある愛知県蒲郡市に居をもった。
小さいころ母に連れられて、ゆりちゃんが帰省した際、訪ねたこともある。
子供心に、「母の友達」というのが不思議でならなかった。
ゆりちゃんは、わたしにとってただの「知らないおばさん」でしかなかった。
それでもことあるごとに聞いていた「ゆりちゃん」のことは、私の記憶にすりこまれ、母が亡くなったことを「知らせたい人」としてリストにあがってきたのだ。
葬儀の日
「お母さんと学生時代仲良くさせてもらっていた〇〇です」と声をかけてくださったゆりちゃん。
その場ではお礼しかいうことができなかったけれど、聞きたいことがたくさんあったんです。
母はどんな学生だったのか
母とどんな話をしたのか
母はどんな人だったのか
初七日を終え、お礼状を出す際、ゆりちゃんに思いきって手紙を添えた。
ぶしつけな私の手紙に、後日ゆりちゃんからお返事をいただく。
そこには、母と仲良くなったきっかけや学生時代に過ごしたこと、お互い結婚出産で疎遠になったけど私が産まれたときに会ったことがあるのよなど、その時々の様子が丁寧に書かれていた。
なんだか天国にいる母からもらったような気持ちになり、かすんで読めない手紙を何度も、何度も読み返した。
お母さん
9年です
またひとつお母さんの年齢に近づきました。
お母さんの青春時代の話をもっと聞けばよかった。
お母さんの年齢に近づくにつれ、お母さんを一人の人間として理解したい気持ちが強くなってきたんだ。
直接聞くことができないのが
残念でしかたないよ
お店のお客さんから、今年も京都の美しい紅葉の写真をみせてもらいました。
一緒に楽しみましょう。
燃えるような赤
グラデーションが美しい
日本らしい鑑賞美
美しいものは
心洗われます
京都 永観堂
(おまけ)
パピさんはユニクロのフリースでも文句をいいません(笑)
シアワセ~